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やまとの寺院

やまとの寺院

定方寺

在処: 大和市下鶴間145 交通: 田園都市線・つきみ野駅下車(約20分) 【地図】 曹洞宗定方寺は「風土記稿」に(境国山ト号ス 曹洞宗武州都筑郡奈良村松岳院末 中興開山竹蜂ト云フ 三尊弥陀ヲ置ク」とあり、創建年代は、寺伝による と、慶長15年(1610)といわれている。 定方寺境内には、瘡守(かさもり)稲荷の小さな祠(ほこら)がある。この寺の鎮守としてまつられていて、ご神体は狐に乗った女神像。この像は、疱瘡や吹出 物に霊験があるとされ、近郊の人々の信仰を集めている。

観音寺

在処: 大和市下鶴間2240 交通: 小田急線・鶴間駅下車(約30分) 【地図】 観音寺は、「風土記稿」によれば「鶴間山東照院ト号ス 古八金亀坊ノ号アリ 古羲真言宗 武州都筑郡恩田村徳恩寺末 中興開山ヲ頼満ト云フ」とあり、天文年間には創建されていると考えられている。 この寺の寺号にまつわる縁起として「宝暦年間(1751~63)法印宥仁阿闍梨の創建といわれており、この宥仁は、霊夢をみた。また、瀬谷区中屋敷の高橋是右衛門にも同じ霊告があった。それは、高橋家に伝わる十一面観音菩薩が夢枕に立ち観音寺に奉安せよとのことだった。そこで、小林九兵衛が助け、当時の境内に観音堂を建てた。その後、大火により付近一帯が大火となったとき、観音堂だけが難を免れた。そこで、村民は十一面観音菩薩を本尊と仰ぎ寺号を観音寺に改めた。」とある。 この寺には、市指定の重要文化財の室町時代後期につくられた木造地蔵菩薩半跏像や天文13年(1544)の厨子がある。 寺は武相観音札所第1番にあたり、新西国33観音札所として、宝暦9年(1759)に設けられたもの。札所は、県内では、横浜市緑区、大和市、相模原市、城山町、東京都では町田市、多摩市、八王子市にわたってある。当初の33か所から現在では50か所に増えている。 また、享保(1716~35)以降に設けられた武相寅年薬師の第21番霊場にもなっている。今ではあまり見かけなくなった巡礼も、本尊の十一面観音の厨子が開扉される12年に一度の卯歳の4月の1ヶ月間は多くの人で賑わう。

鶴林寺

在処: 大和市下鶴間1938 交通: 小田急線・鶴間駅下車(約25分) 【地図】 境川の支流の目黒川西の台地にある鶴林寺は、矢倉沢往還沿いにある。この寺は、「風土記稿」によれば「宝亀山寿翁院ト号ス 浄土宗鎌倉光明寺末 開山貞山覚智ト云フ 本尊弥陀ヲ安ス 鐘楼 享保二年寿鋳造ノ鐘ヲ掛ク 不動堂」とあり、寺の創建は永禄12年(1569)となっている。寺には「生き地蔵」と呼ばれる地蔵がある。これは、村の瀬沼伝衛門家の養子崇信が念仏修行から戻り、生きながらに土中に入り、念仏を唱え息を引き取った、その菩提を弔うために地蔵が建てられたとの言い伝えから呼ばれている。また寺には不動堂があり、毎年正月28日の初不動の日には多くの人が訪れている。

西鶴寺

在処: 大和市西鶴間8-10-9 交通: 小田急線・鶴間駅下車(約30分) 【地図】 日蓮宗

仏導寺

在処: 大和市深見3361 交通: 小田急線・相鉄線・大和駅下車(約15分) 【地図】 境川沿いの深見神社に接して仏導寺がある。この寺は「風土記稿」によれば「親縁山一心院と号ス 浄土宗知恩院末 開山弥誉 天文中草庵ナリシヲ一寺ニ起立ス 弥誉ハ天文二十三年七月二十三日卒 寺領五石三斗 慶安二年十月十七日賜フ 本尊弥陀 運慶作 木立像六尺二寸 鐘楼 元禄十一年鋳造ノ鐘ナリ」となっているが、弥念上人が建立したと考えられている。境内の鐘楼は1698年に造られ、市内では最も古いもので市指定重要文化財となっている。 この寺には、1591年頃からこの深見を知行した旗本の坂本氏の墓碑が三基と、さらに念仏行者徳本に帰依した信者が建てた徳本念仏塔が、市指定重要文化財となっている。この徳本念仏は、近世中期ごろ近畿から関東にかけて、徳本行者によって広められた念仏で深見や測谷の人たちからの信仰を集めていたのがわかる。

善徳寺

在処: 大和市上草柳3-10-5 交通: 小田急線・相鉄線・大和駅下車(約25分) 【地図】 引地川沿いの西の台地上にある善徳寺は、「風土記稿」によれば「沢柳山ト号ス 浄土真宗 東本願寺末 開基善徳坊 天正八年卒本尊弥陀 什宝 釈迦像一軀 銅仏長三寸中古村地中ヨリ出現ス 僧空海ノ作ナラント云 色紙短冊六十三枚 後光厳院御詠草一枚 聖護院宮色紙二枚 小野通女短冊一枚 其余八諸公卿ノ書ナリ」とある。甲斐の国の善徳坊によって元正初年(1582)頃創建されたと推定されている。この寺には、市指定重要文化財の銅造誕生釈迦仏立像があり、これには次のような言い伝えがある。 「檀家の人々が善徳寺本堂を建立するために敷地の地ならしをしていると、土の中からこの誕生仏が出てきた。発見者は密かにこの像を家に持ち帰ってしまったが、その晩から原因不明の熱病にかかり、遂に像を持ち帰ったことが村人に知れてしまった。そこで、この像を善徳寺に返したところ、熱病が治ったという。それから、毎年四月八日の花祭りに作られる草団子が熱病の良薬と云われるようになった。」現在、この誕生仏は市指定重要文化財に指定されている。また、今は市に寄贈されているが、重要文化財に指定されている金箔と黒塗りでできた江戸中期ごろの厨子もある。

極楽寺

在処: 大和市下草柳1184 交通: 小田急線・相鉄線・大和駅下車(約10分) 【地図】 天台宗

常泉寺

>>ホームページ 在処: 大和市福田2176 交通: 小田急線・高座渋谷駅下車(約10分) 【地図】 中福田の引地川東側にある常泉寺は、「風土記稿」によれは「清流山ト号ス そう洞宗遠藤村法泉寺末 本尊釈迦 開山朝厳存夙 元和四年十月十五日卒 開基関水和泉 法諡清流常泉 天正十六年十月十四日卒 子孫村民ニアリ」とある。この関水和泉は福田九人衆のひとり広田刑部助の後継者と言われている人。また、この寺には市指定重要文化財の旧中根家墓地がある。この中根家は、寛永17年(1640)から幕末までこの地域の知行を行った中根氏の墓地。

蓮慶寺

在処: 大和市福田1279 交通: 小田急線・高座渋谷駅下車(約25分) 【地図】 下福田の引地川西の台地上にある蓮慶寺は「風土記稿」によれば「福立山ト号ス 古羲真言宗 鎌倉郡手広村青蓮寺末 本尊不動 開山教誉 寛永三年十月十七日卒 開基関水対馬 法諡月莦叟徳円 元和四年八月十五日卒 子孫今村民ニ存ス」とある。蓮慶寺には、市指定重要文化財の木造優婆尊尼座像がある。この像には、福田九人衆のひとり小林大玄の妻イトの昔話「姥山」伝説が語りつがれている。この像は今では、子育ての姥として信仰されるようになり、子供の百日咳や長患に霊験あらたかであるとされるようになった。

宗昌寺

在処: 大和市福田1544 交通: 小田急線・高座渋谷駅下車(約30分) 【地図】 下福田の引地川東には宗昌寺がある。「風土記稿」によれば「山ヲ雲栄ト号ス 曹洞宗 寺尾村法恩寺末 本尊釈迦 開山林室宗茂 慶安元年正月月三日卒 開基鈴木某 法諡雲栄宗昌 寛永七年五月二十五日卒」とある。小田原北條氏の家臣をとむらうために建てられたようだが、まだ北條氏との関係があまり分かっていない。

信法寺

在処: 大和市上和田2710 交通: 小田急線・高座渋谷駅下車(約20分) 【地図】 上和田の境川沿いの上和田団地を見下ろす台地上に信法寺がある。「風土記稿」によれば「生養山ト号ス 浄土宗 京知恩院末 本尊三尊弥陀 開山空閑 元和二年十二月卒 開基八故地頭石川興次右衛門永正 法名東陽院深誉浄喜 元和三年五月朔日卒」とある。開山の石川興次右衛門永正は旗本で上和田村に住んだ。この地域は幕末までこの石川氏の所領となっていて、この寺には興次右衛門永正から与三郎政養まで10代の墓石がある。また、この寺には下記の薬師院と呼ばれる薬師堂がある。

薬王院

在処: 大和市上和田2710 交通: 小田急線・高座渋谷駅下車(約20分) 【地図】 薬師堂の薬師如来には、和田義盛が眼病を患った時に17昼夜薬師如来に祈り、全快したことからお堂を建立したと云われている。現在でも、9月8日には、薬王院の例祭が開かれている。また、12年に一度の寅年の例祭は盛大で、9月7日~9日までは本尊の開帳も行われている。

真福寺

在処: 大和市下和田 交通: 小田急線・桜ヶ丘駅下車(約15分) 下和田佐馬神社の東隣には真福寺があった。「風土記稿」によれば「鯖宮山ト号ス 古義真言宗 藤沢宿感応院末 本尊不動 開山融賢 天正七年三月ニ十三日卒 土人ノ説ニ 昔瀬谷村宝蔵寺ノ住僧退隠後 当時ヲ草創セシト云 則融賢ノ事ナルベシ」となっていて、現在は廃寺状態になっている。