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やまとの神社

やまとの神社

浅間神社(せんげんじんじゃ)

>>ホームページ 在処: 大和市下鶴間391 祭神: 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと) 表筒男命(うわつつおのみこと) 祭礼: 歳旦祭(さいたんさい)1月1日 節分祭(せつぶんさい)2月3日 例大祭(れいたいさい)9月第2日曜日 交通: 田園都市線・つきみ野駅下車(約15分) 【地図】 由緒: 浅間神社は、文亀神名録写(1501〜1504)には鶴間神社として相模81社に登録され、鶴間郷の鎮守で下。しかし、永禄2年(1559)には、小山田鶴間(鶴間)と東郡鶴間(上・下鶴間)に分かれ、鶴間神社は東郡鶴間に鎮守となったようです。そして、天正19年(1591)頃には下鶴間郷・上鶴間郷に分村されていたようですが、まだその時は二村の鎮守であったようです。その後、宝暦年間(1751〜1763)に下鶴間の鎮守となりました。 現在のような公所分の鎮守となったのは、大正12年の震災の後で、同13年の改築されたときになりました。 現在の場所には、昭和50年9月14日に遷宮が行われましたが、以前は国道16号線大和バイパス線の下鶴間1437番地にありました。 鶴間神社から浅間神社に変わったのは、宝永以前の富士信仰の時期と考えられ、富士塚に浅間社を祀っていました。 浅間神社にはこの他、子之社、住吉社も合祀されています。 子之社は、元々は、公所上講中持の氏神で末社の稲荷は、瘡守(かさもり)稲荷と呼ばれて、吹出物や疱瘡ににご利益があるとされ、信仰があったようです。 また、住吉神(すみのえのかみ)は海上の守護神であり、この辺りは舟を使うくらいの水域であったという説があります。

諏訪神社(すわじんじゃ)

在処: 大和市下鶴間2540 祭神: 健御名方神(たけみなかたのかみ) 祭礼: 歳旦祭(さいたんさい)1月1日 節分祭(せつぶんさい)2月3日 例大祭(れいたいさい)9月6日 交通: 小田急線・鶴間駅下車(約25分) 【地図】 由緒:  諏訪神社は、現在境川を見下ろす台地にありますが、現在地の東350mのところにあったと伝えられ、その跡地には宮田塚と呼ばれる塚があったと云われています。 諏訪神社は、創立年代は不詳ですが、「風土記稿」には「延宝年(1680)の棟札あり」とあったことから、この時期以前にあったと考えられます。 諏訪神社にある神楽殿は、明治初年に村内の鶴林寺に建てられた歌舞伎の芝居小屋で、廻り舞台になっており、一時鶴間学校として使われたあと諏訪神社に移築されたものです。 神社には、市指定重要文化財に指定されている、太刀を腰にさし右手に扇状のものを持った木像神立像があります。

八雲神社

在処: 大和市下鶴間480番地 祭神: 祭礼: 交通: 小田急線・鶴間駅下車(約25分) 【地図】 由緒: 八雲神社は京都祇園を基とする厄除開運の神様で、素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祭ることが一般的ですが、変化もあります。残念ながら、ここの神社の由緒は分かっていません。

大和天満宮

P1100089 在処: 大和市大和南1-8-1 祭神: 菅原道真(すがわらみちざね) 祭礼: 例大祭(れいたいさい)8月下旬の土・日 元旦祭、節分祭、左義長、七五三、初天神 交通: 小田急線・相鉄線・大和駅下車(約5分) 【地図】 由緒: 大和市の市史編纂室所蔵の寄贈本「明治前期の青年教師・山口濱五郎」(長田かな子著)の「大和天満宮の由来について」によると、 「昭和19年に厚木飛行場内に造営された{厚木空神社}は、殉職者をまつる社殿と天照大神をまつる社殿の二棟があり、終戦直後に前者は深見神社の境内に靖国社として鎮座、後者は(昭和20年)8月20日に現在の地に安置され大和天満宮になった」とある。 その後、地域の世話人の協議により、大宰府から天満宮を勧請(分身・分霊を他の地に移して祭る)し、「南大和天満宮」と命名され、昭和21年8月25日に第1回目の例大祭が行われた。 終戦後は野ざらしだったという「天満宮」の社屋は、昭和27年5月に地域の人々の寄進をもとに新築造営された。その後、昭和38年には現在の社屋に改築された。しかし、来春、再開発を機に新たな歴史を刻むことになる。 〜大和版タウンレポートより〜  (平成28年11月3日にオープンした大和市文化創造拠点シリウスの2階デッキに社殿は移転しています。)

深見神社

在処: 大和市深見3367 祭神・ 武甕槌神(たけみかづちのかみ) 健御名方神(たけみなかたのかみ) 祭礼: 歳旦祭(さいたんさい)1月1日 節分祭(せつぶんさい)2月3日 例大祭(れいたいさい)9月15日 交通: 小田急線・相鉄線・大和駅下車(約15分) 【地図】 由緒:  この深見神社は、市内唯一の延喜式内社です。神社の創立年代は、「総国風土記」に掲載されていることから、由緒ある古社であることがわかります。縁記には「武甕槌神東国鎮撫のために常陸鹿島に在られた時、舟師を率いてここに進軍され、伊弉諾神(いざなぎのかみ)の御子倉稲魂神(うかのみかたのかみ)・暗吉神(くらおかみ)の二神をして深海を治めさせられた。両神は深海を治めて美田を拓き、土人を撫して郷を開かれた」とあります。この暗吉神は倉稲魂神と共に、境内の御子倉稲神社に祀られています。 神社の祭神の武甕槌神は、深見領主の坂本家が常陸国鹿嶋神宮を崇拝したことから、鹿嶋神宮の分霊を祀ったものと云われています。この坂本家は、常陸介小瀬三郎義春の後裔で、常陸国とは関係が深く、鹿嶋神宮への崇敬が深かったようです。このような事から、氏子も深見神社のことを鹿嶋社として崇敬するようになったようです。 明治42年には諏訪社を合祀し、村社として氏子の北の諏訪山にあった祭神健御名方神の社で、やはり坂本家の崇敬が厚かったものです。 神社には、市の指定重要文化財の社号標があります。この石碑の社号標には、「相模国十三座之内深見神社」と」刻まれていて、五代坂本重治が建立したようです。

熊野神社(くまのじんじゃ)

在処: 大和市上草柳905 祭神: 須佐之男命(すさのおのみこと) 速玉之男命(はやたまのおのみこと) 伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 事解男命(ことさかのおのみこと) 祭礼: 元旦祭(がんたんさい)1月1日 祈年祭(きねんさい)2月17日 [ 春祭 (はるまつり) ] 例大祭(れいたいさい)9月23日 新嘗祭(にいなめさい)11月23日 交通: 小田急線・相鉄線・大和駅下車(約15分) 【地図】 由緒:  熊野神社は、上草柳村が深見村から分村し元和2年(1616)頃に鎮守になったと考えられます。「風土記稿」には「上・下二村の鎮守」とあり、この草柳村の分村が寛永2年〜正保元年(1625〜1644)と推定され、熊野神社は上・下草柳村の分村の後も鎮守として祀られていたことがわかります。 その後、明治期に下草柳部落に山神社が祀られ、上・下草柳それぞれ別の神社を祀るようになりました。 熊野神社の末社には、桜森稲荷社があります。

山神社(さんじんじゃ)

在処: 大和市中央5-6-3 祭神: 大山祇命(おおやまつみのみこと) 祭礼: 歳旦祭(さいたんさい)1月1日 例大祭(れいたいさい)9月第2日曜日 交通: 小田急線・相鉄線・大和駅下車(約10分) 【地図】 由緒: 山神社周辺の下草柳村の中村、六軒、大下の各部落は深見村の山王塚の山王権現をそれぞれ祀っていました。村社としては、上草柳村の熊野神社を崇拝しており、明治政府の神仏分離令により、三社が六軒部落の山王社に寄せ宮させて山神社ができました。その後、昭和43年に厚木基地の拡張に伴い、現在地へ遷りました。

桜森稲荷神社(さくらもりいなりじんじゃ)

在処: 大和市桜森3-5-30 祭神: 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと) 菅原道真(すがわらみちざね) 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉冉尊(いざなみのみこと) 祭礼: 歳旦祭(さいたんさい)1月1日 初午祭(はつうまさい)2月上午の日 例大祭((れいたいさい)4月13日 交通: 相鉄線・相模大塚駅下車(約3分) 【地図】 由緒: 熊野神社の末社であるこの桜森稲荷社は、相模大塚駅の北に建っていて、熊野神社が熊野三社大権現宮を遷し(弘化2年(1845))五穀豊穣祭を行ったとき、熊野神社の「死気年」除けとして、稲荷神社を建設し、稲倉魂命を祀ったと伝えられています。また、稲荷社には源頼朝が馬つないだ桜の伝説があることから、さらに古い時代から元宮があったかも知れないと考えられています。

金毘羅神社(こんぴらじんじゃ)

在処: 大和市上和田959 祭神: 大物主命(おおものぬしのみこと) 須佐之男命(すさのおのみこと) 祭礼: 例大祭(れいたいさい)7月第2日曜日 交通: 桜ケ丘駅下車(約1分) 【地図】 由緒:

左馬神社(さばじんじゃ)

在処: 大和市上和田1168番地 祭神: 源義朝(みなもとのよしとも) 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ) 神武天皇(じんむてんのう) 須佐之男命(すさのおのみこと) 祭礼: 例祭(れいさい)7月14日 [ 天王様(てんのうさま)] 例大祭(れいたいさい)9月24日 交通: 小田急線・桜ヶ丘駅下車(約20分) 【地図】 由緒: 左馬神社は、宝暦14年3月(1764)に名主渡辺兵佐衛門・小川清衛門がこの地に宮を建立したと伝えられています。また、本宮が城山にあったという伝えもあることから、年代は不詳です。 境川をはさんで、下流に源義経を祀ってある神社は七つあります。上和田左馬神社、下和田左馬神社、下飯田鯖神社、高倉七つ木神社、今田鯖神社、下飯田飯田神社、橋戸左馬神社です。これらの神社を巡る七サバ参りという信仰があり、疱瘡、麻疹、百日咳に効き目があるといわれています。また、このサバ神社が集中していることについては、義朝の領地であったとの説など沢山の説があります。 ここには、社殿と共に神楽殿があり、里神楽が氏子の間で伝承されています。

左馬神社(さばじんじゃ)

在処: 大和市下和田1110番地 祭神: 源義朝(みなもとのよしとも) 祭礼: 例大祭(れいたいさい)9月26日 交通: 小田急線・桜ヶ丘駅下車(約15分) 【地図】 由緒: 左馬神社の年代は不詳ですが、「風土記稿」に「鯖明神社 村内鎮守トス。寛文十年十二月(1670)ノ棟札アリ。」とあります。社名の鯖か佐馬かについては、定かではありません。 この左馬神社も七サバ神社の一つです。名前の「鯖」は、「左馬」であったともいわれていてどちらも使われていたようです。以前の社殿は焼失してしまいましたが、上和田左馬神社と同様な宮づくりであったようです。

御嶽山神社

在処: 大和市福田7-38 祭神: 祭礼: 交通: 桜ケ丘駅下車(約15分) 【地図】 由緒: 山岳信仰の御嶽山への参拝者により講が組織され、明治11(1865)年に塚山を築き御嶽山神社が作られました。完成当時は現在の倍くらいの高さがあったそうです。明治時代半ばまでは盛大なお祭りも行われていましたが、その後衰退し講も自然消滅してしまったのです。 〜H15/12/18[観光探検隊第1・2期第9回散策体験]記より〜

福田神社(ふくだじんじゃ)

在処: 大和市福田8-8-6 祭神: 大国主命(おおくにぬしのみこと) 須佐之男命(すさのおのみこと) 祭礼: 例大祭(れいたいさい)8月13日 交通: 小田急線・桜ヶ丘駅下車(約10分) 【地図】 由緒: 福田神社は昭和63年に境橋部落の氏神さま日枝神社と山下部落の氏子子之社が合祀されてできた神社です。 日枝神社は、柴田氏が美濃から移住したときに、滋賀の日枝社を分霊し祀ったと伝えられていて、山王藪に祀ってあったものです。子之社は、松木ヶ谷戸の氏神でした。 福田神社には、囃子獅子舞が伝承されていて、祭礼には豊作祈願、年頭には災難避けを願って部落中を練り廻っています。この囃子舞は市の指定無形文化財になっています。 また、子之社には、神社の社殿などにかけられている金属性の打器の鰐口が市内最古のものとして市指定重要文化財となっています。

神明神社(しんめいじんじゃ)

在処: 大和市福田528 祭神: 天照大神(あまてらすおおみかみ) 祭礼: 例大祭(れいたいさい)9月20日 交通: 小田急線・高座渋谷駅下車(約15分) 【地図】 由緒: 神明社は、創立年代ははっきりしませんが中福田の氏神として祀られるようになり、神明谷戸として部落が形成されていきました。

田中八幡宮(たなかはちまんぐう)

在処: 大和市代官1-20-20 祭神: 応神天皇(おうじんてんのう) 祭礼: 例祭(れいさい)9月15日 交通: 小田急線・高座渋谷駅下車(約30分) 【地図】 由緒: 田中八幡宮は、「風土記稿」によれば貞亨三年九月(1686)に上飯田村の本興寺の住職が再興したとあります。また、伝承によれば元亀・天正のころ、代官保田筑後守が鬼門除けの守護神として八幡山に祀ってあるのを貞亨年代に現地に遷し、代官部落の氏神として崇拝したともいわれています。 当社には、田中囃子が保存会によって伝承され、神社の例祭の時などには舞われています。 また、市の指定重要文化財として田中八幡宮祭神の御神像が指定されています。このご神像は応神天皇と云われ、やなぐいを背負い、弓を持つ騎馬像で、その勇壮さがうかがわれます。 また、明治5年の武道絵馬も市指定文化財になっています。これは、新鮮組の近藤勇で有名な天然理心流の流れを汲む一門の人々が奉納したもので、村に流行したのがわかります。

若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)

在処: 大和市福田509-1 祭神: 仁徳天皇(にんとくてんのう) 祭礼: 例祭(れいさい)9月第2日曜日 交通: 小田急線・高座渋谷駅下車(約15分) 【地図】 由緒: 創立年代は不詳ですが、田中八幡宮の若宮と考えられています。神社に残されている梵鐘の銘文には、地頭の中根氏の霊夢によって神社が建てられたとされています。社殿内には、仁徳天皇といわれるご神像が祀られています。